生き続けるバウハウス!
顧問 浅野忠利
1919年、ワイマール体制が発足し、ほぼ同時にバウハウスが誕生した時、人々は第一次世界大戦後の混乱の真っ只中にあった。創設まもないワイマール共和国は、賠償・インフレを克服して世界初と言われる民主的な憲法に基づく社会を生み出した。その中心にあって、ワイマール文化を支えたのはモダニズムという運動であった。モダニズム運動は広く社会を席巻し、文化、政治、経済に及んでいる。造形の領域でモダニズムの実践を志したのが国立教育機関バウハウスである。
モダニズムの理念は、欧州での絶え間ない自由と平等の探究、移民難民問題にも繋がる中世以来の欧州統一思想、基督教終末論などの流れを内包し、大衆を主人公とする新世紀に高い倫理性と合理性をもたらせた。
バウハウスでは、幅広い文化の領域で、世界の名だたる巨匠の参加を得て、生活空間の創造が展開された。様式主義から機能主義への転換により、近代的生産方式による生活環境改善が試みられた。バウハウスで培われたモダニズムは、21世紀を迎えた今なお、造形の分野で生き続けている。バウハウスの初代学長ワルター・グロピウス(1883=1963)は倫理性の追求を誓った。この倫理性に加え合理性がバウハウスを進展させ、モダニズムを支えてきた。
2019年欧州委員会(EU)新委員長ウルズラ・フォン・デア・ライアン(1958=)は「欧州グリーンディール」を打ち出し、その中心運動の一つを「New European Bauhaus」と名付けた。人類の存亡をかける地球環境問題の意欲を担う重要な役割にBauhausの名を授けたことは、Bauhausがモダニズムとともになお生き続けていることの証左である。
当時のバウハウスに学んだ建築家山脇巌(1898=1987)などの実績がありながらも、十分に果たせなかったバウハウスを知る努力とその知見を我が国の生活環境改善に役立てることを決意して、ようやくワイマールでのバウハウス開校100年を過ぎて立ち上がった次第である。