バウハウスとカンディンスキー

お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

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バウハウスとカンディンスキー(第1部)(YouTube)
カンデンスキーはモスクワで生まれ、法律学を勉強しましたが、絵画にあこがれ、1896年芸術の都ミュンヘンにやってまいりました。Franz Marc, August Macke, Paul Klee と共に青騎士のグループを結成しました。作風には彼らの影響を受けます。最初は具象画、特に風景画を描いておりましたが、徐々に抽象画を描くようになります。第1部では1926年までの作品を紹介しております。

バウハウスとカンディンスキー(第2部)(YouTube)
カンディンスキーは第一次世界大戦中はモスクワに戻っておりましたが、再びドイツに出てきました。1921年にバウハウスから招聘を受け教育に当たりました。当初は建築物の壁画を描きました。専ら抽象画を描き、抽象画の大家と言われました。1933年ナチの弾圧によりバウハウスが解散するまで副校長格で校長ミース・ファン・デル・ローエを支えました。バウハウス解散と同時にフランスにわたり、作品を残しました。

2022年4月25日

バウハウスとパウル・クレー

 お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

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バウハウスとパウル・クレー(第1部)(YouTube)
パウル・クレーの作品数は多いので3部に分けてご紹介します。これは第一部です。両親の影響を受け、音楽を愛好しました。特にバイオリン演奏を好みました。クレー誕生からバウハウスのヴァイマール時代の作品を紹介いたします。ミュンヘンで修業を行い、青騎士のグループとの交流により、影響を受けました。

バウハウスとパウル・クレー(第2部)(YouTube)
パウル・クレーの第2部です。バウハウスで教員(マイスター)として最も円熟した時代(1923~1930)の作品を紹介します。クレーが得意とした抽象画でなく、教材用に描かれたであろう透視図も含まれます。

バウハウスとパウル・クレー(第3部)(YouTube)
  パウル・クレーはバウハウスを1930年に去り、Düsseldorfの芸術アカデミーで教鞭をとります。しかし1933年ナチスが政権を取ると、弾圧を恐れ、故郷のベルンへ戻ります。1936年に不治の病を得ますが、精神力で多数の天使の絵、造形文字の絵画を残します。燃焼し尽くして1940年6月に世を去りました。

2022年4月18日

バウハウス100年

 お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

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BAUHAUS100年(YouTube)
バウハウスは2019年に創立100年を迎えました。これを記念し、ドイツでは博物館が建設され、沢山の映画も制作されました。またポスターも作られました。このポスターを紹介しつつ、バウハウスとは何であったのか、説明いたします。

2022年4月1日