坂崎乙郎先生

坂崎乙郎先生 絵とは何か
坂崎乙郎先生 絵とは何か

私の通った高等学校では第二外国語の授業があった。私はドイツ語を選択した。そして2年生になった1957年に坂崎乙郎先生にドイツ語を習った。1957年というと、「もはや戦後ではない」とは言われたが、高度成長期に入る前の貧乏な時代であった。坂崎先生はドイツ留学から帰国された直後であった。当時海外に留学するなど、非常にまれな時代であった。

いつも挨拶もなく授業に入った。坂崎先生の授業は時々脱線があった。そしてドイツで勉強された、バウハウスやパウル・クレーの話をされた。高校生には勿体ない授業であったが、脱線話は常に新鮮で刺激的であった。そしてドイツ語を勉強すれば、このような面白いことにありつけると考えた。そしていつかはドイツに留学したいとも考えるようになった。その為にはドイツ語を一生懸命勉強しなければならないと考えた。高校生の時の夢はかない、会社勤めをしながら受験したドイツ学術交流会(DAAD)の試験に受かることができた。1971~73年の間ベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所で研究する機会に恵まれた。そしてバウハウスの研究をする機会を得ることができた。坂崎先生の脱線授業に感謝するものである。

(田中辰明 お茶の水女子大学名誉教授)

2020年12月25日