バウハウスとカンディンスキー(改訂版)

お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

更新日:2022年6月6日
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バウハウスとカンディンスキー(改訂第1部)(YouTube)
ヴァシリー・カンディンスキーはモスクワ生まれのロシア人です。モスクワ大学で法律学を学びました。ロシアにいたのでは自由が制限される、自由な絵が描けないとさとり、30歳の時に芸術の都ミュンヘンに出ました。そこで成果を上げ、ヴァイマールのバウハウスから教員(マイスター)として招聘を受けました。第一部では1989年から1922年までの作品を収録しました。抽象画の名人と言われたカンディンスキーも当初は風景画、具象画を描いていたことがお判りいただけます。

バウハウスとカンディンスキー(改訂第2部)(YouTube)
カンディンスキーの1923~1927年の作品を収録いたしました。バウハウス時代の作品です。抽象画が中心ですが、教材用に制作された絵画も含まれています。カンディンスキーは当初は建築の壁画を描いておりました。抽象画を描くには想像力が必要になります。学生の想像力を高めるためにカンディンスキーは抽象画を描き、努力しました。

バウハウスとカンディンスキー(改訂第3部)(YouTube)
ヴァシリン・カンディンスキーの1928年から1944年までの作品を収録いたしました。抽象画の成熟期であります。カンディンスキーはバウハウスのヴァイマール期、デッサウ期、ベルリン期を過ごしました。ベルリンでは校長、ミース・ファン・デル・ローエを補佐する副校長格でありました。しかし1933年、ナチスが政権を取るとバウハウスは解散を余儀なくされました。カンディンスキーはフランスにわたりました。

2022年4月25日

バウハウスとパウル・クレー(改訂版)

お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

更新日:2022年6月6日
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バウハウスとパウル・クレー(改訂第1部)(YouTube)
パウル・クレーはバウハウスの教員(マイスター)として活躍した画家です。スイスの出身でした。作品の数が多いものですから全体を4部に分けました。ここでは第1部として1884年から1920年までの作品を収録しました。

バウハウスとパウル・クレー(改訂第2部)(YouTube)
パウル・クレーはバウハウスの教員(マイスター)として活躍した画家です。抽象画を多数描きました。両親が音楽に造詣が深く、クレーもバイオリンの達人でした。クレーの絵には音楽があります。この第2部では1921年から1924年までの作品を収録しております。

バウハウスとパウル・クレー(改訂第3部)(YouTube)
  バウハウス教員(マイスター)として活躍したパウル・クレーの1925~1930年までの作品を纏めております。主にデッサウ時代の作品であります。盟友ヴァシリー・カンディンスキーと同じ教員宿舎に住み、最も充実した時期の作品であります。当然教材として作られた作品も含まれております。1930年はデュッセルドルフ芸術アカデミーの教授を務めております。その時代の作品も含まれます。

バウハウスとパウル・クレー(改訂第4部)(YouTube)
  バウハウスで教員(マイスター)として活躍したパウル・クレーも台頭してきたナチスに退廃芸術とされ、焚書の対象になります。失望したクレーは故郷のベルンに戻り、晩年を過ごします。病のうちにも沢山の作品を残します。

2022年4月18日

バウハウス100年(改訂版)

お茶の水女子大学名誉教授 田中辰明

更新日:2022年6月6日
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BAUHAUS100年(改訂版)(YouTube)
バウハウスは1919年にヴァイマールで誕生いたしました。2019年は創立100年ということで、バウハウスの博物館が作られたり、関連の映画も多数作られ、公共放送を通して放映されました。また沢山のポスターも作られました。このポスターを鑑賞しながらバウハウスの足跡を辿ります。

2022年4月1日