バウハウスとブルーノ・タウト

 バウハウス初代校長、ヴァルター・グロピウス(1883~1969)とブルーノ・タウト(1880~1938)は共に1910年にドイツヴェルクブンドに入会をし、二人は交流を深めた。タウトはドイツでは建築の仕事が多忙で、工芸作品を残していない。しかし1933年に亡命のような形で来日し、約3年5ケ月滞在した。その間にあまり建築の仕事は出来ず、現存するタウトの作品は熱海市にある旧日向別邸のみである。その間主に著作と工芸作品並びに指導に励んだ。タウトが在日中に工芸の仕事が出来たのも、ドイツヴェルクブンドでグロピウスとの交流があったからである。タウトの工芸作品はバウハウスで制作された作品と類似しているものもある。しかしタウトは日本文化を理解し、日本文化を取り入れた作品も残している。例えば、竹皮細工や黒漆塗りのフィンガーボール等を残している。

 タウトもグロピウスを尊敬しており、1934年12月3日の日記に「グロピウスの現在の事情を思いやると、彼を日本に招くことができたらという気持ちが募ってくる。とにかく彼は、外廊式高層共同住宅の創始者なのだ。」と記している。(グロピウスはタウトと殆ど同時に、ナチスの圧迫を逃れてロンドンに亡命(1933年)し、後米国へ亡命した(1937年)。このようにブルーノ・タウトもバウハウスもヴァイマール共和国時代に活動を行い苦労の末、台頭したナチス政権を逃れて亡命したという共通点がある。タウトに関しては2021年1月5日~2月7日の間、群馬県立歴史博物館で「ブルーノ・タウトの世界」と言う展覧会が開催された。1月15日に田中辰明がブルーノ・タウトに関する講演を行なった。そのダイジェスト版は下記よりご覧いただける。

ブルーノ・タウトの世界「基調講演 講師:田中辰明」ダイジェスト版
群馬県立歴史博物館

2021年1月27日 | カテゴリー : その他 | 投稿者 : author001