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シンポジウム「知られざるバウハウス」開催
”バウハウス100周年”プレ・イベント。文化日独コミュニティー主催。11月24日、東京・港区のドイツ文化会館OAGホールでNPO法人文化日独コミュニティー主催によるシンポジウム「知られざるバウハウス」が開催された。…
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田中辰明(お茶の水女子大学名誉教授)
ベルリンに残るナチス好みの建築とナチスドイツへの反省
近代建築の生みの親はヴァルター・グロピウスとル・コルビジェであろう。グロピウスの初期の作品は…
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田中辰明(お茶の水女子大学名誉教授)
バウハウス(ベルリン)
新興勢力であったナチス党はデッサウで正当な選挙により、勝利を収めた。ナチス党は選挙公約としてバウハウスの解体をうたっていたので、1932年9月末にバウハウスは解体された。しかしバウハウスの名声は全国に広がっていたので…
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田中辰明(お茶の水女子大学名誉教授)
バウハウス(デッサウ)
ヴァイマールで国立の建築・芸術学校としてスタートしたバウハウスはヴァルター・グロピウス校長以下錚々たる教授陣を揃え、一見順風満帆のスタートを切ったかのように見えた。しかし実情はそうではなく…
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田中辰明(お茶の水女子大学名誉教授)
世界文化遺産アルフェルトのファーグス工場
ドイツのハノーバーの南50km程の所にアルフェルト(Alfeld)という町がある。ここにはヴァルター・グロピウス(Walter Gropius 1883~1969)が1911年に設計、建設したファーグスの靴型工場がある。…
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田中辰明(お茶の水女子大学名誉教授)
バウハウスとブルーノ・タウト
バウハウス初代校長、ヴァルター・グロピウス(1883~1969)とブルーノ・タウト(1880~1938)は共に1910年にドイツヴェルクブンドに入会をし、二人は交流を深めた。タウトはドイツでは建築の仕事が多忙で、工芸作品を残していない。しかし1933年に亡命のような形で来日し、約3年5ケ月滞在した。その間にあまり建築の仕事は出来ず、現存するタウトの作品は熱海市にある旧日向別邸のみである。その間主に著作と工芸作品並びに指導に励んだ。タウトが在日中に工芸の仕事が出来たのも、ドイツヴェルクブンドでグロピウスとの交流があったからである。タウトの工芸作品はバウハウスで制作された作品と類似しているものもある。しかしタウトは日本文化を理解し、日本文化を取り入れた作品も残している。例えば、竹皮細工や黒漆塗りのフィンガーボール等を残している。
タウトもグロピウスを尊敬しており、1934年12月3日の日記に「グロピウスの現在の事情を思いやると、彼を日本に招くことができたらという気持ちが募ってくる。とにかく彼は、外廊式高層共同住宅の創始者なのだ。」と記している。(グロピウスはタウトと殆ど同時に、ナチスの圧迫を逃れてロンドンに亡命(1933年)し、後米国へ亡命した(1937年)。このようにブルーノ・タウトもバウハウスもヴァイマール共和国時代に活動を行い苦労の末、台頭したナチス政権を逃れて亡命したという共通点がある。タウトに関しては2021年1月5日~2月7日の間、群馬県立歴史博物館で「ブルーノ・タウトの世界」と言う展覧会が開催された。1月15日に田中辰明がブルーノ・タウトに関する講演を行なった。そのダイジェスト版は下記よりご覧いただける。
ブルーノ・タウトの世界「基調講演 講師:田中辰明」ダイジェスト版
群馬県立歴史博物館
100年後に実現したバウハウス アム・ホルン新住宅群
21世紀によみがえった住宅開発コンセプト
音楽の父バッハ、芸術家ゲーテなどの活躍の舞台として知られる文化都市ワイマール。9世紀まで歴史を遡ることができるドイツ中部のこの都市の一角に、周囲の街並みとは明らかに異なった佇まいの住宅街がある。アム・ホルン新住宅群(Neues BauenamHorn)と呼ばれるこの地域の開発はテューリンゲン州とワイマール市の公式事業として1996年にスタートしたものだ。
(さらに…)